京つう

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Posted by 京つう運営事務局 at

2007年05月31日

平安京は、松尾大社から

京に都を作るとき、船岡山からみて朱雀大路が決められたが、
まず最初に守り神として松尾大社、続いて平野神社など造営されるのですが、
『松尾大社』は、もともと秦氏の氏神として祭られていたもので、
701年文武天皇が社殿を開かれ、賀茂両社とともに皇城鎮護の守り神として祭られています。

船岡山の名水が、霊泉『亀の井』が、延命の最高の美酒を生んだ事から
全国の酒造業者の守り神としても信仰されており、社内には、全国の酒造家が奉納された
酒樽が飾られ、お酒の資料館もあります。
社内は、季節によってさまざまな花・景色が楽しめますが、亥の日は、「月読神社」が安産祈願の日。
また、1日参りには、御粥のお下がりがいただけます。

http://www1.neweb.ne.jp/wa/matsuo/  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 13:35水の都 藻壁の章 第3章

2007年05月23日

平安京は日本人の都

日本人は、都を作る上で中国の都をモデルにしたと思っている。
確かに、基本的形態は、漢字という文字と同様に模倣されたものである。
ところが、中国の歴史をみると近年ますます面白いことがわかってきた。

黄河文明より長江文明に源流があること。

中国といっても「萬漢全席」に代表されるように、シルクロードの遊牧民や、遊牧の民から
中国の軍人を中心に、北部や西部の組織に組み込まれ、やがて革命をおこし
最後は皇帝になって王朝を開いた人物が無数にいる。
つまり漢民族と遊牧民の抗争のなかで、だれが統一したかで国のすべての価値観が崩れる。
おそらく大きな変化の中で、日本に移り住み、やがて最後の行先を求めている。
飛鳥・平城京・紫香楽の宮・難波宮・長岡・・・さまざまな勢力が、日の本に多様な価値観を
持ち込んだ。しかし、明らかに京都の平安京の頃から、日本的な文化の再認識が始まった。  続きを読む


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 01:38知恵の都 朱雀の章 プロローグ

2007年05月18日

清少納言を生んだ清原頼業公の舟遊び

紫式部と並んで、京都で有名なのが「清少納言」。彼女を生んだ清原家は、多くの歌人を生んだ事でも知られており、三十六歌仙にも名前が出てくる。
元々京の都を造るのに、遣唐使などに代々派遣された菅原家とともに、漢学者清原頼業公の存在は、実に大きく。ほとんど政治的実権を掌握できるほど信頼されていた。かの清原公が好んだのが舟遊び。和歌を楽しむのには、最高のシチュエーションだが、今日私たちは、「三船祭り」の関連行事として、毎年第三日曜日に、平安の宴を垣間見る事が出来る。
和歌からやがて物語へと展開していく日本の文学の原点が、町衆が受け継いだ祭りのなかで、拝見できる。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 00:43文学の都 安嘉の章 第6章

2007年05月15日

相撲の神様は、天神様のご先祖

日本の国技は、相撲。
その始まりは、「野見宿禰(のみのすくね)」と呼ばれている。
その顛末は、相撲神社やその関連サイトに譲るが
http://www.bell.jp/pancho/travel/yamanobe/sumo_jinja.htm
北野天満宮にもその社がある。
それは、土師氏のご先祖でもあり、土師氏から菅原家が生まれたからだ。
平安京は、長岡京から移った訳だが、この長岡は、桂川・宇治川・鴨川が1つのなる水利と
山に囲まれた天然の要害だった。
奈良の勢力から切り離して新しい都を作ろうとした桓武天皇の側近グループが、
菅原家であり、長岡から平安京への一帯は土師氏の有力地域であった。

結局太秦の由来となった秦氏らの協力などで平安京に移るわけだが、
この橋渡し役の土師氏の流れの菅原氏のご先祖が野見宿禰、つまり相撲の神様になる。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 23:41武芸・スポーツの都 殷富の章 第4章

2007年05月15日

冷泉家

同志社の南西の一角に「冷泉家」が今に残る。
雅な年中行事が、今日も受け継がれている。
京都人なら誰もが知っているが、街の中には、「冷泉通り」の名を残す通りが数箇所ある。

日本人にとっての文学の原型の和歌。そして、言葉のリズム。
今日、京都には、城南宮をはじめ様々な和歌を楽しむ行事が受け継がれており、
様々な保存会が存在する。任天堂がバックアップした、『時雨殿』に代表されるように、
言葉を楽しむ伝統が、現在という時代になっても、子供たちの「かるた会」から
さらに「GS時雨殿」まで制作される背景に京都の脈々と受け継がれる文化が、
常にその時代を生きる人たちの熱き想いと時代のなかで楽しむ文化を受け継ぐ事によって
伝えられている。
そのシンボルの代表格の1つが、冷泉家の存在そのものである。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 01:08文学の都 安嘉の章 第6章

2007年05月12日

蹴鞠サッカー

城陽のサンガタウンは、小学生の頃「サッカー部」だった。
サンガは立命館と京セラなどの財界の支援で、強化を狙っている。
そこで就職した現スタッフにとって、蹴鞠の神様「白峰神社」にお参りに行きましょう。

風俗は、西本願寺の向かい。蹴鞠も再現しています。
「京都パープルサンガ」の皆さんも京都の拠点にたくさん来店予定。
ちなみに、伏見稲荷大社も昔は藤森さんでした。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 02:08武芸・スポーツの都 殷富の章 第4章

2007年05月11日

源氏物語と紫式部

世界で最も有名な日本文学は、やはり「源氏物語」であろう。
あまり文学に興味のない人でも、これが光源氏や桐壺・紫の上などの登場人物の事を、
少しは知っているだろう。この物語が書かれたのが、御所のすぐ東側の「魯山寺」そして、
紫の上との出会いの舞台も、式部ゆかりのお寺が舞台のモデルになったといわれている。
そのために京都では、様々な舞台が再現可能となり、ゆかりの土地を訪ね歩く事が
可能になってくる。
京都の魅力は、文学や歌舞伎他の様々な文芸のモデルが、身近に存在する事。
源氏物語から始まり、山村美佐サスペンスまで、文学が時に他の分野の再発見に結びつく。
撮影のメッカ、祇園新橋では、何人の殺人が行なわれ、何度舞妓さんが、辰巳神社にお参りに
いった事か?常に時代を超えた文学の舞台になっている。それが、文学に親近感と奥の深さを
与えるように思う。  続きを読む


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 01:07文学の都 安嘉の章 第6章

2007年05月06日

阿仏尼の命日

1222年に生まれ1283年5月6日に、
時代を開いた一人の女性がこの世を去った。
藤原為家の娘で、冷泉家に嫁いだ。
今日の和歌の源流が、この一人の女性によって始まる。

今日、娘と「下鴨神社」に行って祭りに参加したときふと思った。 
このままふるさとに帰る・・・・・・といって
一人の女性が去っていった。
彼女の和歌における存在。

やがて、そこから世界的にも有名な文学が誕生した。
ちなみに我が娘は、「パープルチャン」

















  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 00:04文学の都 安嘉の章 第6章

2007年05月05日

五月五日端午の節句は、武芸を競い合う日

端午の節句は、武芸を競い合う日。
京都の各地で祭礼で、武芸比べが開かれている。
また、下鴨神社では、葵祭りに向けた行事が、黙々と進められている。
ちょっとお待ち下さい。加茂氏ゆかりの祭り?
藤森神社は?
もともと端午の節句は、藤森神社のお祭り。
八坂神社は「八坂氏」。北野天満宮の菅原氏は、遣唐使でもおなじみですが、「土師氏」。

では問題です。「天神さん」に祭られている菅原氏のご先祖様は、何のスポーツの神様?
また、サッカーの神様は何神社?京都の神様ゆかりのスポーツを考えてみましょうか?  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 00:34武芸・スポーツの都 殷富の章 第4章

2007年05月02日

水はどこに流れる?

ある巨大ホテルが建設されたとき、周辺の建物にネズミが異常発生した。
実は、地下水脈の一部が遮断された為に、地下水脈の一部が空洞化されて
ネズミの住みかになった為だそうだ。

京都の地下水脈は、本来それぐらいの工事で遮断されるよりもっと深い所を流れている。
そこで、基本命題。「地下水脈はどこを流れているのでしょうか?」
答えは、川と同じ。岩盤の上も考えられるが、基本的には、水は粘土層の上を流れているのです。
田んぼも川も、砂漠の上には作れません。水が流れる為には、巨大な岩盤か?
有機物を含んだ水の治水で、地下に粘土層か岩盤の上か?平安京の都は多くが湿地帯でした。
湿地帯には水脈がある。

しかし、それ以上に粘土層があります。粘土層があるから田んぼに水がはれる。
つまり、京都は治水に恵まれた条件も持っていたのです。
加茂川他、京の川は、治水によってルートを変更しています。
これって、ただ堤だけ動かせば済む問題ではありません。
川の下が砂地なら地中にしみこみます。

京の地下水脈が、見直される時代です。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 01:21水の都 藻壁の章 第3章

2007年05月02日

荒木親子と京大・産大の馬術部

京都の大学の馬術部。「京都産業大学馬術部」の馬場は、上賀茂から雲ケ畑に向かうところに
立派な馬場がある。加茂川上流を産大の馬術部の部員が乗るすばらしいサラブレッドが歩いていく。
京都産業大学入学と同時に、体育で乗馬を選んだが、大変な競争率で受けられなかった。
なぜこんなにすばらしい馬術部が、当時新しい大学に出来たのか?
大学開校の柱になった荒木親子は有名な京大の馬術部のOB.
「京都大学」にも立派な馬を寄贈されている。
あの「カスピ海ヨーグルト」で有名な家森幸男先生も京大馬術部の出身。
その天文学者として高い評価を受けた荒木先生(名前にも馬が付く)が大学を開かれるうえで、
大変力を入れられたのが乗馬。科学者が大好きなのが乗馬というのもいいですね!
京都の平安騎馬隊にもOBが居るのでしょうか?  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 01:10馬の都 談天の章 第2章