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Posted by 京つう運営事務局 at

2007年10月12日

京都人何者?

51歳の誕生日を迎えました。51歳という年齢を皆さんどう考えますか?
昔は、人生50年。で、もう人生が終わってしまいます。
今は、80~90歳が普通となりましたが、ご承知の通り、私の人生は、108歳まで生きる予定。
自分で、108歳までの人生計画をたてているので、50歳は、まだ折り返し地点にも到達していません。20歳で何を実現する。30歳で何を実現する。40歳で何を実現する。と、10年単位で目標を作ってきたので、50歳で今ひとつの目標が、実現できるところまで来ました。
そんな私は、すでに次の目標に向かって動き始めているわけですが、このブログ。50歳の間に書く。といった、ブログのテーマは、京都人の知恵。
それは、日本という、世界の様々な文化を学びながらも、独自の文化を生み出した日本の歴史的中枢にあって、実は、日本各地から。時に世界からこの都に集まった人たちの智恵の結晶。
 この町に住む人は、すべて京の都に住む都人。
学生で来たり、仕事できたり、神社仏閣関係できたり、映画・演劇の活動で来たり、料理や工芸の修業で来たりして、いつしかこの町の魅力に取り付かれて住み着いた人たちが住む都。
 東山松原通りに「黄匠桜」という、和中心に洋の料理が入ったすばらしい町屋のお店があります。
料理長は、中国系のマレーシア人。しかし、彼の料理に、マレーシアも中国も感じられません。
 日本料理に魅せられて和食を修行し、外国でフレンチの洋を学び、でもやっぱり店をやるなら京都でと、探し回って、立派なお店を借り受けて店にした。そこには、近未来の日本料理が感じられます。
 京都大学で、「数理生態学で博士号」を取ったイゴール・ライラ。コンピューターの本業で、アメリカや東京でいい仕事がいっぱいあったのに、母国の文化を料理で伝えて知ってほしいと開いたのが、スロベニアレストラン「ピカポロンツァ」。アメリカ・イギリス・ガボン大使館などで、料理人を歴任して、故郷の料理と開かれたアフリカ料理「アシャンティー」。まもなくリニューアルオープンするレサさんのアゼルバイジャン・イラン料理もラジャスさんのインド料理も馬さんのモンゴル料理も皆京都へのこだわりを持っています。皆、自分を持っているから。そして皆「京都」が好きだから。
 だから皆「京都人」。・・・何年前にきゃはりました?12日前?12年前?120年前?1200年前?  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 02:02Comments(0)知恵の都 朱雀の章 プロローグ

2007年10月09日

平安京は、なぜここに?

京都に生まれ育った私たちは、なぜ京都に都が作られたのかを、深く考える事はあるのだろうか?
水の話の中で、平安京建都の時。舟岡山から見て朱雀大路を中心に、桂川・鴨川の間に広がる盆地に、都が作られた。三方山に囲まれ、南は当時鳥羽が湿地帯と池。白川しかり。神泉苑しかり。船は、枚方まで「くらわんか船」が来ていた。(名前がいい。この名前をとったお店の天麩羅は、ごっついで!)。
 しかし、その前に、権力者となった藤原氏の旧姓は?中臣氏。そんな地名が山科にありましたよね。
菅原氏は、土師氏。そういえば、平安京の南西は、土師氏の勢力圏。北東の秦氏派、松尾大社との関係も。。
 もうひとつ。桓武天皇のお母さんといい、百済系の人脈が見え隠れするのは、私だけでしょうか?  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 02:23知恵の都 朱雀の章 プロローグ

2007年07月14日

智恵の都京都人の遺伝子 後半まもなく開始

京都の料理に関して「くいしんぼうの会」
京都の芸術に関して「円山陶芸協会」
京都の祭り・行事に関して「京都口先案内人」
と3つのブログを書いてきた私が、今年10月までの限定で
「京都の都」を、14のテーマに分けたブログを書き始めた。
14のテーマは、平安京の14の門の名前に由来し、14の門にゆかりのテーマを選んだ。
14合わせて結論を申し上げると、15番目のメインテーマ「智恵の都京都」になる。
新しい書き方として、14のテーマは、順にスタートするが、それぞれに書き足していく。
各章を、カテゴリーで分けているので、カテゴリー別で読んでいただくと、先に書いたものから、ストーリーになっている。
 最初一気にスタートしたので、少し休ませていただいたが、山鉾巡行を機に、後半をスタートさせて、夏に一気に進む予定。10月11日に書き終える予定だ。お楽しみに!  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 03:00知恵の都 朱雀の章 プロローグ

2007年05月23日

平安京は日本人の都

日本人は、都を作る上で中国の都をモデルにしたと思っている。
確かに、基本的形態は、漢字という文字と同様に模倣されたものである。
ところが、中国の歴史をみると近年ますます面白いことがわかってきた。

黄河文明より長江文明に源流があること。

中国といっても「萬漢全席」に代表されるように、シルクロードの遊牧民や、遊牧の民から
中国の軍人を中心に、北部や西部の組織に組み込まれ、やがて革命をおこし
最後は皇帝になって王朝を開いた人物が無数にいる。
つまり漢民族と遊牧民の抗争のなかで、だれが統一したかで国のすべての価値観が崩れる。
おそらく大きな変化の中で、日本に移り住み、やがて最後の行先を求めている。
飛鳥・平城京・紫香楽の宮・難波宮・長岡・・・さまざまな勢力が、日の本に多様な価値観を
持ち込んだ。しかし、明らかに京都の平安京の頃から、日本的な文化の再認識が始まった。  続きを読む


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 01:38知恵の都 朱雀の章 プロローグ

2007年04月20日

日本人は、どこから来たのか?

日本の歴史を学ぶとき、縄文や弥生は他国の歴史のようで、飛鳥そして大和。
平城京・・・・・・そして平安京へと歴史が続いている記述になっているが、そうでしょうか?
基本的に、大和は、日本の国家統一し、今日まで続く日本社会の中心となった天皇家を核とした
歴史の記述になっている。

ちょうど、アメリカインディアンがいるのに「新大陸発見」とか、欧米の歴史家が書き、
日本でもそれを学んだが、同様に、飛鳥・大和の時代には、日本各地に天皇家中心に
国家統合していくのには、それぞれに別の各地の集団の歴史が本来記録されるべきで、
京都に都が移った頃から、様々な美術運動も京都で起こった。

『日本人は、どこから来たの?』

それは、波状的に中国に移り住んだ白系ロシア人の伝統が中国経由で、日本に入る。
 しかし、中国も今日世界の急激な変化に対応するのが精一杯。
元々、世界に広がったきっかけは、世界に広がる中国人のネットで更に強固になる。

朱雀の章2  続きを読む


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 01:21知恵の都 朱雀の章 プロローグ

2007年04月13日

あなたも今日から京都人

知恵の都京都へようこそ!

ここは、140万「みやこびと」が暮らす京の都。
そして260万「トリプルみやこびと」の京都府民の暮らす山紫水明のみやこ。
(京都府の3文字はすべてみやこを指す文字)。
さては、いつから都人の仲間入りをしたのか?あなたは本当の京都人?と聞く人もいるが、そうです。
私は京都人です。と答える人の方が珍しい。
なぜなら大抵そんな質問には、「父の祖先は、元々近江商人で・・・、母の祖先は丹後の出身で・・・、
父方の祖母の家系は、伊勢志摩の方から・・・、母方の祖母は南北朝時代に播州から来て・・・、
・・・で結局みんなよそ者ですねん。

京の都は、元々平安京が、長岡京から移って船岡山から見下ろした地域に
朱雀大路・大極殿・西に右京、東に左京。都の原型が作られた。
以降「みやこびと」の仲間入りをする人たちが全国から続々京にやってきた。
それまで、都は、転々としていた。
京に移っても動乱は繰り返されたが、いつしかこの地はみやことなり、
「みやこ」が一人歩きを始めた。

そして、世界的にもまれな「みやこ都市」が完成したのである。
長い歴史の中で、政治や権力の実権は、鎌倉・大阪・江戸・東京へと移っても。
京都は、ここに住む都人と、この町を愛する世界中から訪れる人々の英知が常に注ぎ込まれてきた。
その知恵の秘密を、一つ一つ明らかにしていこう。

詳しく読みたい方は、続きをどうぞ。

☆ところで、このプロローグを、朱雀の章と名づける。
何章進んだところであなたは、すべての章の名前を見つけることができるのか?
最後の終章の名前まで見つけられたらあなたは相当な京都つうである。  続きを読む


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 00:00知恵の都 朱雀の章 プロローグ