京つう

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2007年10月13日

白虎

京都は、西の愛宕山 東の比叡山のように、西の桂川東の鴨川のように、東西で対比されるが、西は、山ではなく山陰へ抜ける道とされており、私が、西の鯖街道の話を書いたが、亀岡経由の道は、必要と考えられたが、ご存知と通り南は、元々抜けており、東は多彩な勢力が行きかう道だった。
これも、東は、東海道に抜けており、西は亀岡まで行くのは、精一杯です。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 00:33Comments(0)神々の章 偉鑒の章 第7章

2007年10月13日

朱雀

元々京都の大内裏の真ん中の南門が朱雀門で、そこから羅生門まで一直線に伸びたのが、都の中心を走った「朱雀大路」。南の守り神。南には、巨大な池が求められていたため、巨大な「巨鯨池」は、まさに南のシンボルがった。城南宮が、南の守り神とされ、現在も平安時代の再現が、祭り・行事に残されている。
 そんな京の町が、「巨鯨池」を干拓してよかったのだろうか?
近年、伏見と一体となって様々な「水の都伏見」の再発見プロジェクトがスタートしている。
 人が、自然を帰られると思うのは、大変な驕り高ぶりである。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 00:23Comments(0)神々の章 偉鑒の章 第7章

2007年10月13日

青龍

平安京の都創建当時、秦氏と並んで有力だった氏族「鴨氏」。
西は、桂川・東は鴨川。まさに上賀茂・下鴨に代表される鴨氏の領分。もっとも、下鴨は、当初出雲氏の領分だった。平安京創建の頃には、鴨氏の勢力範囲となっていた。東を守るのは清流とされており、当時西の端は、鴨川とされた。もっともかなり早い時期から東に住民か固まって居住するようになり、六勝寺の頃には、今の岡崎公園周辺は、桓武天皇が建立した「岡崎神社」が、建立された。
東山には、様々な青龍伝説があり、そんな背景があるのか人気小説「鴨川ホルモー」は、「京都大学青龍会」のメンバーの話が主題になっている。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 00:12Comments(0)神々の章 偉鑒の章 第7章

2007年10月09日

玄武

京都の北に宿る。平安京の都を守る北の要として祭られた。
玄武は、蛇と亀を意味する。元々船岡山から見て作られたこの山こそ都を守る玄武そのものである。
大内裏の真北に位置する「偉鑒門」。開かずの門ともいわれるこの門は、北への備えとして「玄武門」とも呼ばれた。平安京の全体像を見たとき、内裏から南へ都が作られる。中国では、内裏の周辺なども防御の為に囲われて、門が作られたが、文字通り北は、開かずの門。
日本において、長岡京までは12門だが、平安京になって14門になった。
なんと北の東西の土塀を、物資の運搬がしやすいように、開けてしまったのだ。なんと安全神話がその頃すでに芽生えていたのだろうか。
各門は、北陸や東海山陽道などの有力者に命じて門を作らせ、門によって警護の形態も異なる。
有力者の顔ぶれをみると、当時の強力な支配地域が見えてくる。
平安京は、ようやく安定した都の始まりでもあり、争いの幕開けでもあった。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 21:24Comments(0)神々の章 偉鑒の章 第7章