京つう

  歴史・文化・祭り  |  洛中

新規登録ログインヘルプ


スポンサーリンク

上記の広告は、60日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by 京つう運営事務局 at

2007年06月07日

五花街にみる芸能文化とファッション

今日、京都が和文化の中心として様々な伝統が受け継がれている背景として、
花街の存在を忘れてはならない。明治以降の欧米化の流れの中でも、
京都に様々な和文化が残ったのは、和の目的となる花街の存在があり、
旦那衆でも、花街に行くのに和装が似合う粋の空間が、あったればこそ生き残ったとも思える。

五花街とは、上七軒・祇園甲部・祇園東・先斗町・宮川町

六月中旬に合同で舞台を開く
年々衣装も華やかになっている。
ちなみに、遊郭跡の島原でも多くの人に、昔の遊びを文化として知ってもらおう
「花魁新聞」が司太夫が運動しておられる。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 02:53ファッションの都 上西の章 第5章

2007年04月28日

パリコレが生まれる京都

昔、パリ・ニューヨーク・京都を目指す3人のデザイナーの卵がいた。
やがて一人は、京都の着物デザイナーに。一人はパリに生活の拠点を置き、
もう一人は、ニューヨークのショーのゲストに選ばれた。

スタッフとしてNYにくる?と聞かれた。パリからは、遊びにきてねと電話がかかってきた。
若い頃、京都の染色工場で、パリで有名なデザイナー達のブランドが染められている職場で
働いた事がある。あの人も・この人も。最初は驚いた。パリや東京で暮らしているのに。
京都でプリントしているの?結局技術力が高いからだそう。

確かに、染めや織でも、他では真似のできない技術を持った会社が京都にはたくさんある。
「京都プロデュース協会」に一人として、あるとき錦市場でのファッションショーに参加した。
チーフプロデューサーは、京都在住のパリコレのカメラマン。デザイナーもパリなど海外で
活躍している。若冲も生んだ「錦市場」が舞台になっているのも面白い。
京都は常に時空を超えた人間の英知の溜まり場になっている。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 01:18ファッションの都 上西の章 第5章

2007年04月28日

京都の和装を動かす近江商人の拠点

京都の室町・新町。いうまでもなく。呉服問屋が軒を連ねる。
信長・秀吉の」時代に楽市楽座に代表される全国」を又にかけた流通を握って、
江戸・浪速にも兜町・ドブイケ。

商社や百貨店などに展開する商人たちの拠点として、京の町は和装の拠点となった。
そこから生まれた洋装ブランドも様々な展開をしている。
何よりもこれは、流通を牛耳ってきた近江商人たちの努力の賜物。
彼らの存在を無視して京の都の繁栄はなかっただろう。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 01:06ファッションの都 上西の章 第5章

2007年04月28日

平安京ができたころ

貴族などが着る服装を専門に管理する部署がつくられていた。
唐の都。遣唐使によって、当時の日本は中国の最新の流行や儀礼に使う様々な様式を取り入れた。そしてここに決定的な事実誤認があった。
日本史の授業でならったこんな事を思い出してほしい。
正倉院にも伝わった、「ペルシャ三彩」が「唐三彩」になり「奈良三彩」になったと。
ここには、事実誤認がある。
中国の歴史の中で、シルクロードの文化交流は、日常のものではあるが、唐の初期にペルシャは勢力を失うなかで、中国に多くの人々が亡命した。唐は「胡」の文化を、当時の流行のごとくに取り入れた。服装のその一つ。三彩も。ところが、やがてこのブームは中国では消えてしまう。
日本は、これを受け入れ、最先端の中国文化を取り入れた。
日本は、歴史的に様々な最先端の文化を受け入れ取り入れる。やがては日本文化の中に納まって伝えられていく。ペルシャや中国で失われた文化や技術が、保存されていくのだ。その最先端が平安京に伝わった。大和派と親中国派の戦いだ。吉野から植えられた桜と中国の象徴の梅の対決。
やがては、桜が花開いていく。しかし梅の残した上で。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 00:57ファッションの都 上西の章 第5章