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Posted by 京つう運営事務局 at

2007年04月28日

パリコレが生まれる京都

昔、パリ・ニューヨーク・京都を目指す3人のデザイナーの卵がいた。
やがて一人は、京都の着物デザイナーに。一人はパリに生活の拠点を置き、
もう一人は、ニューヨークのショーのゲストに選ばれた。

スタッフとしてNYにくる?と聞かれた。パリからは、遊びにきてねと電話がかかってきた。
若い頃、京都の染色工場で、パリで有名なデザイナー達のブランドが染められている職場で
働いた事がある。あの人も・この人も。最初は驚いた。パリや東京で暮らしているのに。
京都でプリントしているの?結局技術力が高いからだそう。

確かに、染めや織でも、他では真似のできない技術を持った会社が京都にはたくさんある。
「京都プロデュース協会」に一人として、あるとき錦市場でのファッションショーに参加した。
チーフプロデューサーは、京都在住のパリコレのカメラマン。デザイナーもパリなど海外で
活躍している。若冲も生んだ「錦市場」が舞台になっているのも面白い。
京都は常に時空を超えた人間の英知の溜まり場になっている。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 01:18ファッションの都 上西の章 第5章

2007年04月28日

京都の和装を動かす近江商人の拠点

京都の室町・新町。いうまでもなく。呉服問屋が軒を連ねる。
信長・秀吉の」時代に楽市楽座に代表される全国」を又にかけた流通を握って、
江戸・浪速にも兜町・ドブイケ。

商社や百貨店などに展開する商人たちの拠点として、京の町は和装の拠点となった。
そこから生まれた洋装ブランドも様々な展開をしている。
何よりもこれは、流通を牛耳ってきた近江商人たちの努力の賜物。
彼らの存在を無視して京の都の繁栄はなかっただろう。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 01:06ファッションの都 上西の章 第5章

2007年04月28日

平安京ができたころ

貴族などが着る服装を専門に管理する部署がつくられていた。
唐の都。遣唐使によって、当時の日本は中国の最新の流行や儀礼に使う様々な様式を取り入れた。そしてここに決定的な事実誤認があった。
日本史の授業でならったこんな事を思い出してほしい。
正倉院にも伝わった、「ペルシャ三彩」が「唐三彩」になり「奈良三彩」になったと。
ここには、事実誤認がある。
中国の歴史の中で、シルクロードの文化交流は、日常のものではあるが、唐の初期にペルシャは勢力を失うなかで、中国に多くの人々が亡命した。唐は「胡」の文化を、当時の流行のごとくに取り入れた。服装のその一つ。三彩も。ところが、やがてこのブームは中国では消えてしまう。
日本は、これを受け入れ、最先端の中国文化を取り入れた。
日本は、歴史的に様々な最先端の文化を受け入れ取り入れる。やがては日本文化の中に納まって伝えられていく。ペルシャや中国で失われた文化や技術が、保存されていくのだ。その最先端が平安京に伝わった。大和派と親中国派の戦いだ。吉野から植えられた桜と中国の象徴の梅の対決。
やがては、桜が花開いていく。しかし梅の残した上で。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 00:57ファッションの都 上西の章 第5章

2007年04月28日

京都のみやこを育てた治水技術

京都に平安京の都ができた頃、東の方は湿地帯だった。
徐々に干拓されて都は東へ広がった。
現在の桂川も鴨川の治水の結果だ。近年には、更に角倉了以によって、高瀬川が開かれ、荷物の運搬に利用された。元々、枚方までは、大阪湾の船が、「くらわんか船」の名が残る辺りまで海運が盛んであった。更に琵琶湖からの疎水・インクラインの整備。私たちは今、南禅寺・哲学の道。白川・高瀬川など京都の街中にたくさんの水との調和した風景や生活を楽しむ事ができる。
その一つ一つに様々な苦労と知恵の結晶があった事を忘れてはならない。蹴上の浄水場の一角につくられた資料館。一之船入りのや伏見の港の再現。忘れられていた水の都の歴史が再認識されようとしている。水を失った堀川に水を取り戻す計画。「みたらし祭り」や「三船祭り」「御香宮の祭礼」などで、水の都を再認識してみんなで保存のあり方を考えてみよう。
「神泉苑」にみやこびとは、何を想ったのだろうかと。「大沢の池」「広沢の池」水文化は、京都の誇りです。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 00:41水の都 藻壁の章 第3章

2007年04月28日

京都の地下水が名水なのはなぜ?

御所の鬼門と呼ばれた「梨乃木神社」には、いつも行列ができている。
大文字に登る途中にも有名な名水が、
貴船や清滝に行く途中にも、
御香宮・清水・伏見・京都には名水が湧き出る場所が山ほどある。

名水が、京料理・豆腐・京野菜・酒・そして京友禅など京都の文化を生んできた。
豊富な水脈は近年の調査でも、鉄分など不純物の少ない軟水である事が証明されている。
この水の性質が、琵琶湖の水脈を利用し、治水の技術で取り入れた水資源と2つの水質の
水資源を持つ事で、更なる豊かな文化を育んだのではないだろうか。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 00:25水の都 藻壁の章 第3章