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2007年04月28日

京都のみやこを育てた治水技術

京都に平安京の都ができた頃、東の方は湿地帯だった。
徐々に干拓されて都は東へ広がった。
現在の桂川も鴨川の治水の結果だ。近年には、更に角倉了以によって、高瀬川が開かれ、荷物の運搬に利用された。元々、枚方までは、大阪湾の船が、「くらわんか船」の名が残る辺りまで海運が盛んであった。更に琵琶湖からの疎水・インクラインの整備。私たちは今、南禅寺・哲学の道。白川・高瀬川など京都の街中にたくさんの水との調和した風景や生活を楽しむ事ができる。
その一つ一つに様々な苦労と知恵の結晶があった事を忘れてはならない。蹴上の浄水場の一角につくられた資料館。一之船入りのや伏見の港の再現。忘れられていた水の都の歴史が再認識されようとしている。水を失った堀川に水を取り戻す計画。「みたらし祭り」や「三船祭り」「御香宮の祭礼」などで、水の都を再認識してみんなで保存のあり方を考えてみよう。
「神泉苑」にみやこびとは、何を想ったのだろうかと。「大沢の池」「広沢の池」水文化は、京都の誇りです。


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Posted by AKIYUKI KOYAMA at 00:41 │水の都 藻壁の章 第3章