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2007年08月02日

京都の食の物流拠点

皇嘉とは、平安京を内裏を囲む十四の門の一つ。モデルとなった中国の都も平城京も内裏の内門は、12.干支の数でもある。ところが、京都最初の平安京の内裏は、12門のつもりだったが、物資運搬用に東西の北に壁をぶち抜いた通用門を2つ造った。結果14の門が記録されている。
アスニーにある平安京の模型。の解説などでも。平安京の前傾は、あくまでも計画的な推定図であり、実際、すべてが規則正しく完成する前にさまざまな事情で町並みは崩れ、特に西は水害や地盤の問題から、やがて多くの人が東を整備して移り住んだために、平安京は、東に大きくずれ込んでいく。西の当初の平安京は、田畑として利用され最終的に都全体の枠踏みもかわるわけだが、当初の内裏の皇嘉門は、現在の七本松あたり、朱雀大路は、JRとこかぶるが千本のやや西側。JRと周辺の土地が住宅密集地で無かったおかげで、京都への鉄道時代の食の物流拠点として中央市場が整備された。現在、北に梅小路車庫が鉄道マニアの記念館的空間になっているが、南は大阪ガスタンク周辺が、「京都リサーチパーク」になって、市内の一大研究機関の集合体になっている。


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Posted by AKIYUKI KOYAMA at 21:55 │食の都 皇嘉の章 第1章