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2007年04月20日

日本人は、どこから来たのか?

日本の歴史を学ぶとき、縄文や弥生は他国の歴史のようで、飛鳥そして大和。
平城京・・・・・・そして平安京へと歴史が続いている記述になっているが、そうでしょうか?
基本的に、大和は、日本の国家統一し、今日まで続く日本社会の中心となった天皇家を核とした
歴史の記述になっている。

ちょうど、アメリカインディアンがいるのに「新大陸発見」とか、欧米の歴史家が書き、
日本でもそれを学んだが、同様に、飛鳥・大和の時代には、日本各地に天皇家中心に
国家統合していくのには、それぞれに別の各地の集団の歴史が本来記録されるべきで、
京都に都が移った頃から、様々な美術運動も京都で起こった。

『日本人は、どこから来たの?』

それは、波状的に中国に移り住んだ白系ロシア人の伝統が中国経由で、日本に入る。
 しかし、中国も今日世界の急激な変化に対応するのが精一杯。
元々、世界に広がったきっかけは、世界に広がる中国人のネットで更に強固になる。

朱雀の章2

・氷河時代にもすでにシベリアから氷を渡って来た人々。
・海を渡ったモンゴル系と白系が多いロシア人。
・インド・東南アジアを経由して、青森まで交易していた人の末裔は、太平洋の島々まで広がる。
・朝鮮半島は、・・・と書く前に、遊牧系の文化は、そのまま取り入れられた。
で、日本の歴史は、飛鳥とか倭とか・・・そして平安京へと習ったけれど、それはあくまで大和・平城京・平安京への流れのみを取り上げた日本史。
すでに明解なのは、日本列島に波状的に入り込んだ集団が、様々な集落・社会を形成していき、その中に、大和以外に、出雲・吉備・筑紫・越・豊・尾張・・・日本には様々な異なった背景を持つ集団が、独自の社会を経世していった。それぞれに漢民族系・太平洋の海洋民族系・アイヌ系・日本海の海洋民族系・遊牧民系様々なルーツがあり異なった背景がある。信仰は、彼らの集団の違いを明白にし、当初は、言語や習慣の違いも大きかっただろう。ただ、地球は一つ。我々が考えるより遥か太古の時代から、交易があった。飛鳥・大和・平城京の時代には、間違いなく個々の勢力の争いは絶えなかった。なぜなら蘇我・物部・大伴・藤原・土師・尾張・加茂・出雲・八坂・秦・綾羽・小野・・・・天皇の側近を自認する古代士族たちのルーツをたどっていくと、様々な争いが見えてくる。ある意味で平城京の時代は、まだかなり統一国家としての勢力範囲が、限定されていた。羽陽曲折を経て、平安京になって体制が確立し始めた。物部が吉備系だとか、蘇我が出雲と関係が深いとか、継体天皇が越の大王だったとか、卑弥呼の後の豊から、九州は生まれているとか、尾張は太平洋系だったとか、平安京が誕生した事で、日本の国家体制が独立して、確立された。何よりも各有力氏族のどこにもつながる、更に水に恵まれた街。そこで、国家を共有する日本人が確立された。

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Posted by AKIYUKI KOYAMA at 01:21 │知恵の都 朱雀の章 プロローグ