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Posted by 京つう運営事務局 at

2007年08月02日

京都は世界の食の都

京都が、世界の食の都になるのは、ある意味当然の結果である。
京都は、日本文化や学術・先端技術などの様々な研究機関が無数に存在し、ほぼ全世界から留学生や研究生、研究者が来訪したり滞在している。多い国で1万人ぐらい日々滞在しているそうで、逆にめずらしい日本7人しか滞在者のいない国のうち4人が京都にいるときいて驚いた。年間膨大な外交からの来訪者があり、中には京都が気に入り、時に京都で日本人と出会って結婚したりいろんな理由で、京都に定住して、自宅は、京都の母国を結ぶ交流の場になり、やがてその中でお店を持つ人は少なくない。彼らにとって、店は、母国文化を紹介する場でもあり、生活の場でもある。同様に日本人でも海外に行って、自分の好きになった国にこだわり、やがて店になっていくケースも少なくない。
すばらしいのは、京都に世界のほとんどすべての国のどこかに興味を持ったり、こだわっている人が、住んでいる事実。世界のどこから来ても、この町には、あなたの国や街や文化に惹かれているひとが、いますよ!行けば、家に帰った安らぎを感じる場がありますよ!
それは、京都が、日本の様々な伝統や文化を大切に守りついで来た街だから。  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 22:09食の都 皇嘉の章 第1章

2007年08月02日

京都の食の物流拠点

皇嘉とは、平安京を内裏を囲む十四の門の一つ。モデルとなった中国の都も平城京も内裏の内門は、12.干支の数でもある。ところが、京都最初の平安京の内裏は、12門のつもりだったが、物資運搬用に東西の北に壁をぶち抜いた通用門を2つ造った。結果14の門が記録されている。
アスニーにある平安京の模型。の解説などでも。平安京の前傾は、あくまでも計画的な推定図であり、実際、すべてが規則正しく完成する前にさまざまな事情で町並みは崩れ、特に西は水害や地盤の問題から、やがて多くの人が東を整備して移り住んだために、平安京は、東に大きくずれ込んでいく。西の当初の平安京は、田畑として利用され最終的に都全体の枠踏みもかわるわけだが、当初の内裏の皇嘉門は、現在の七本松あたり、朱雀大路は、JRとこかぶるが千本のやや西側。JRと周辺の土地が住宅密集地で無かったおかげで、京都への鉄道時代の食の物流拠点として中央市場が整備された。現在、北に梅小路車庫が鉄道マニアの記念館的空間になっているが、南は大阪ガスタンク周辺が、「京都リサーチパーク」になって、市内の一大研究機関の集合体になっている。
  


Posted by AKIYUKI KOYAMA at 21:55食の都 皇嘉の章 第1章